甲子園への憧れ今もなお!台湾隊の復帰願望を叶えて欲しい!

我が友よ、カエルは鳴く鳴く、祖国を慕う。
( 甲子園から屆ぃた絆Kizuna 俺も絶対甲子園に行く)

 

その昔、台湾の嘉義農林中学の熱血 球児が台湾全島の目を甲子園にくぎ付けにしました。

台南州立嘉義農林學校/大正十年(1921年)

(1) http://blog.roodo.com/kcn/archives/4258683.html

(2) http://twbsball.dils.tku.edu.tw/wiki/index.php/嘉義農林棒球隊

圖片簡述:嘉義農林學校棒球隊榮獲1931年日本甲子園全國高校野球賽亞軍,由隊員蘇正生(中堅手/右1位)交與農專校長胡懋麟(左)保存。本館按:原獎盾已因戰亂遺失,本獎盾為日後復刻)
拍攝日期:1996-11-30
所有人:聯合報

その熱血児の幾人かは、90歳を越えた今も猶、野球への憧れ、甲子園への憧れを胸に抱き続けております。
よく知られている様に、日本の高校野球では、毎年「甲子園へ」のキーワードが全国高校球児の血を沸かせる 若き憧れの的であります。其の野球場の歴史は長く、1924年即ち、大正の甲子年に阪神野球場が建設され、その年の「甲子年」に因んで阪神甲子園野球場と命名されました。
時は流れ、2010年に、沖縄県の「興南高校」が春の「日本全国高校野球選手権大会」に引き続き、8月21日第92回甲子園大会で、「春夏連覇」を成し遂げ沖縄全県民を興奮させ、熱狂的な歓呼を受けた歴史的な背景があります。
戦後、沖縄の高校生が甲子園に出場したのは、沖縄が未だ、米国の軍事政府の治世下にあった1958年以来であります。

(興南高校/2010年選手権)

1. 当時(即ち米国の軍事占領下)の沖縄県人は米国軍事政府の発行したパスポートで日本へ渡航せねばならなりませんでした。即ち、日本の法律では沖縄県人は外国人として扱われたのです。

2. 米国の占領下にあって 沖縄県人の願望は 日本への復帰であり、日本人として日本の国歌を歌い、米軍の統制を受けない事でありました。
3. 終戦後の1958年即ち 甲子園第40周年記念大会に際して、「首里高校」が沖縄代表として 戦後初めて 甲子園大会に出場しました。これは沖縄県の日本復帰第一歩の瞬間でもありました。
4. 記録によれば、首里高校の甲子園での初戦は福井県の敦賀高校との対戦で、0対3で敗北しました。甲子園高校野球の伝統的な習慣にちなみ、首里高校の選手達は、甲子園球場の土を沖縄へ持ち帰りましたが、入国の検疫で持込が不可能となることが判り、涙ながらに海に捨てたと言うことです。このエピソードが沖縄県人の、日本復帰を望む感情を更に強めたのは云うまでもありません。
以上は、沖縄県の人々が抱く、甲子園高校野球への憧憬の抒情詩でもありました。以下に、戦後沖縄の地位を法理的に分析してみます。


A. 米国軍事政府が終戦後の「分割占領」の下で、沖縄県民の「委託管理」を執行したのは丁度中華民国が「分割占領」執行者として、(本質的には「米国の代理」として)台湾人をその管轄下に置いたことに相当します。両者即ち、沖縄県民も台湾人も、管理当局の(米国の認めた)発行した旅券を以って、日本の入国管理を受けなければならなかったのです。(中華民国の台湾における実態は「支那殖民政権」であり、1949年の中国共産党の新政権誕生を以って、台湾に流亡した、如何なる執政権も持たない亡命政権に転落した)。
B. 支那軍事占領当局は「万国公法」に違反して、占領地住民たる台湾人の市民権擁護の義務を無視し、台湾住民の人権を蹂躙しました。
軍事占領は、究極的な忠誠心(Ultimate Allegiance)を含む市民の義務を、一時中断する(Suspended)のが合法的であるが、支那人は国際法を無視したのです。


米国占領当局は、沖縄に於いて、万国公法に違反することはありませんでした。
沖縄県人に公式場所での日本国歌の斉唱を禁止したり、米国への忠誠心を強制したり等の違法行為は無かったのです。


台湾においては全住民の国籍が集団的に中華民国に強制的に移転され、忠誠心を強制されました。支那人上陸の当日を、即ち、1945年10月25日の軍事占領の開始日を「光復節」と称して、台湾の主権が中華民国に返還されたと「詐欺宣伝の第一歩」を踏み出し、67年に及ぶテロ手段を使う洗脳教育が始まったのです。


恐怖政治の様相は人間の想像を遥かに超え、「光復節の国盗り」「228大虐殺、(20万人が虐殺)又は20年に及ぶ長期徒刑 と 百万に上る犠牲者家族への官憲による性的、肉体的な 奴隷的搾取」の記憶は、今猶、台湾人の心情を支配しております。台湾に於いて、「民族浄化」「民族殲滅」「民族屠滅」等の言葉はタブーで、民衆がその様な文字すら、印刷物で見ることは稀なのです。
C.沖縄県人は、米国軍事政府の統治下でも、母国日本への忠誠心を失うことなく、日本政府もまた、「主権の義務」は剥離移転されないという万国公法の原則に基ずいて、又、米国前国務長官ダラスの所謂、[剰余主権(residual sovereignty)]の原理に沿って積極的に「沖縄返還」の努力を重ね、其れを実現しました。台湾の実情は沖縄に比し、甚だしい差別があります。
台湾人の知識階級とその指導者たちは、万国公法の枠組みに従って、米国及び日本に「台湾を日本に返還せよ」若しくは「台湾に自治権を」と訴え、台湾の法的位置付けの正常化に努力する事を怠って参りました。彼等は、万国公法の枠組みを外れ、主観的な思い込みだけで、日本との関係を切り離し、独立を叫んだり、中国との合併推進を画策したり、所謂「統一か独立かのブラック・ホール」の不毛な泥沼の中で67年間も闘争に明け暮れてきたのです。

支那人の巧妙な洗脳教育があり、日本に対しては、主権義務を行使して、台湾に協力する立場は無いと思わせる謀略を駆使し、米国も又、亡命政権による似非民主選挙の詐術に熱中する台湾人の指導者と、其れに追随する600万以上の民意の本意が解らず、曖昧政策の持続に依って維持して来た現状で今日に至っております。
恨むべきか、惜しむべきか、悲しむべきか?
D.Military government is at best but transient, the allegiance due to it is correspondingly temporary. 軍事政府は最善な形式であっても過渡的なもので、其れへの忠誠も同時に一時的なものである。
米国の代理として、台湾へ派遣された中華民国(1949に亡命政権へと転落する)は戦争法に違反して、「軍事占領は一時的な過渡性」原則を無視し、台湾の公用語である日本語を廃止し、支那語(北京語)を公用語としました。戦争法違反であり、民族浄化の一環でもあります。米国は沖縄県人に公用語の日本語の廃止をせず、米国語の強制使用、英語の公用語への強制は無かったのです。沖縄県人と母国日本との意思疎通に何らの妨げもありませんでした。
E.1941年以前に、甲子園大会に参加した異色の中学チームも有ります。満州帝国から馳せ参じた「満州隊」です。満州政権は1945年8月18日に終期を迎えた。朝鮮隊も南北朝鮮と分かれ、その管轄政権が1948年に、前後して主権独立国家となり、日本全国高校野球甲子園大会に参加する立場を失いました。
日本は万国公法とサン・フランシスコ平和条約によって、沖縄と台湾に対す「剰余主権」を保有しております。
琉球面で言えば、沖縄隊の高校生は米国軍事政権管轄化の「琉球パス・ポート」で日本に入国した事実は、沖縄隊の甲子園大会に参加する正当性を損ねるものではありません。
台湾民政府面で言えば、「米国管轄下の琉球政府が甲子園に沖縄隊を派遣して、日本全国高校野球甲子園大会に参加した史実」に因み、将来、米国軍政府管轄下の台湾民政府或いは民治政権たる台湾政府も甲子園大会への高校生チームを派遣する正当性が有ります。
台湾民政府が、直接又は沖縄等の協力で、日本政府に台湾隊の日本全国高校野球甲子園大会参加の申請を為した場合、日本政府は、最低限度交流の名目で、台湾の高校チームを甲子園へ招く、歓迎書を出し、70年近く凍結された台湾隊(中華台北隊ではない)を甲子園で熱烈な歓声で迎えて欲しいものであります!
台湾隊の復帰は台湾高校野球のレベル・アップのみならず、一世紀に亘る、支那豚に虐げられた台湾人の政治煉獄からの脱出、人格の形成、次世代の教育、台湾地位の正常化、太平洋の安保など、多岐に渡る道々への再出発の「瞬間的起爆」であり、其の持つ意義は極めて重大でありましょう。


作者: 林志昇 (武林 志昇 ; 林 峯弘)

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